理屈は「油」で感情は「水」

お嫁さんがどんなによいことをしても、お姑さんはそれを悪く解釈して、いいふらす。
その正体は理屈じゃない。
お姑さんのお嫁さんに抱いている感情。
それがお気に入りとなったら、どんなことをしても、みんなよく解釈して褒める。
逆もそう。
学者の理論だって、政治家の議論だって、みんな同じで、その底に流れている感情が言わせる理屈に過ぎない。

盲人が数人で象を見に行った話。
目が見えないので、手で触ってみたが、帰ってきて、さて報告を聞くと、一人が、

「象とは松の幹のようにカサカサして丸太ン棒のようなもの」と脚を触った盲人。
「いや、象とは固くて、鉄のようにスベスベして尖っているもの」と牙をさわった盲人。
「いやいや、象とはそんなものではない。柔らかくて、クルクルと巻いたり伸びたりするもの」と鼻を触った盲人。

これは誰一人、ウソを報告した者はいない。
みんな真実を伝えている。

お嫁さんだって政治家だって、象の鼻だけ見れば神様のような偉人であり、天女のような娘かも知れないが、脚だけ見れば欠点人間であり、どうしようもない嫁ということになってしまう。
要は政治家の正体もお嫁さんの正体も、それを論ずる人の感情が大きく起因する。

感情が水。
理屈が油。
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水の上に油が浮いている。
水の上に浮いている油は、目立ちますが、実際はいつでも下の水の流れによって左右されているものなのかもしれない。

人間の口からでるのはいつも理屈ですが、その理屈を言わせる正体は、またいつでも人間の感情なのかもしれない。
理屈や理論なんて後付けなのかもしれない。

Don’t think.Feelも頷ける。

株式会社OCEAN’S
葛城 嘉紀